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支配人日記(18年目です。笑顔同封!)

十番館のこと、そしてワタシのまわりの出来事などを事実9割・脚色1割で18年間毎日書いてます(^^)。

     
 
いろいろ。

皆さんこんにちは。

 

 

昨日は岐阜からご家族さまがいらしてくださいました。

 

 

12歳のお兄ちゃんを筆頭に7歳の弟さんと年長のお嬢様、かわいかった。

 

 

お兄ちゃんは12歳にしては背が高く、最初会ったときは中学2年くらいかと・・、

 

「お兄ちゃん、スポーツなにかしてるん?」

 

「おれサッカー!」 

 

やっぱりな。 

 

ここ10年くらいこんな質問をすると大概サッカーって。

 

 

昔は野球だった。

 

 

ワタシ小学校の頃は当たり前のように少年野球やってて、中学に入ってからは陸上と野球を掛け持ちしてました。

 

 

今も昔も少年野球チームの花形はピッチャー、誰もが競い合ってると思うんだけど、あの頃は王・長嶋の時代、サードとファーストが花形でしたよ。

 

 

背番号も3と1を奪い合って、打順は3番か4番で、王選手の一本足打法を真似たものでした。

 

 

昭和40年から48年までセ・リーグはジャイアンツが9連覇していて、それがワタシのの10才から18才、野球の覚え始めから高校3年だったから、途中竸っていてもジャイアンツが優勝するものだと思ってました。

 

 

帽子が曲がるような力投する堀内ってピッチャーがいましてね、新人で13連勝を含む16勝を挙げて新人王、みんなピッチャーやって投げるとき、わざとアタマを振って帽子を曲げて、その真似をしてました。

 

 

 

その強いジャイアンツの10連覇を阻止したのが昭和49年のドラゴンズ、エースの星野仙一投手が大活躍。 

 

 

強かったな。

 

 

 

年末から年始にかけていろんなエピソードがあったから、この日記もしばらく途切れず書けるかなって思ってたんだけど。週末に飛び込んで来きたのが星野監督ご逝去の知らせ。

 

 

ショックだった。

 

 

何にも負けない、ずっと元気な方だと思ってた。

 

 

2日間の新聞全部読んで、ネットでエピソード見てたら涙でてきた。 

 

 

 

虎穴に入らずんば虎児を得ず。

 

 

中日の監督やったのは当然として、阪神と楽天、どれも最弱のチームを預かって優勝させてるし、特に2003年の阪神のときなんて最下位続きのチームに飛び込んで選手を掌握して2年目で優勝だった。

 

 

あの試合、広島とだったけど、満塁から赤星がライトオーバーのサヨナラ打って、帰還した赤星を涙顔で抱きしめて・・、

 

 

あれ感動したなぁ。

 

 

 

 

動画は←ここ。

 

 

 

 

それから同じ年、原監督が退任するとき、甲子園の最終ゲームで、志半ばで辞めざるを得ない敵の指揮官に惜別の花束を贈るというセレモニーをして・・、

 

 

ここも感激した。

 

 

 

あんなことできる人いないよね。

 

動画は←ここ。

 

 

 

ご冥福をお祈りします。